皆さんごきげんよう。aiaiです。
皆さんは歴史は好きでしょうか。
aiaiは学生時代に世界史を勉強していたのですが、その時に聞いた話を今回書きたいと思います。
それがこれ。
義経はチンギスハンだった!?
源義経は日本の伝説的な人物ですが、その義経がなぜモンゴル帝国を築いたチンギスハンとつながるのでしょうか。
いくつかの説がありますが、その中からいくつか抜粋してご紹介したいと思います。
義経とチンギスハンという人物
義経
義経といえば弁慶との話が有名ですよね。
倒した相手の刀を集めていた弁慶の100本目になる刀の持ち主が牛若丸(義経の幼名)で、
弁慶はとんでもなく強いのですが牛若丸の身軽さに翻弄されてついに負けてしまう。というお話。
その後、家来として使えることになります。(ちなみにフィクションらしい)
弁慶が立ったまま死ぬお話もかっこいいですよね。
そんな義経ですが驚くほどに情報が少ないです。
義経の死については源頼朝と不仲になり、1189年に東北で自害したといわれています。
しかし、首が頼朝まに届くまでの期間が当時としても遅すぎる(通常数日のところを何か月もかかっている)ため、義経の首ではない可能性が考えられています。
そうすると義経の死は確実なものではなく、失踪という認識になります。
チンギスハン
次はチンギスハンについて。
チンギスハンはモンゴル帝国を統一したといわれている人物です。
カリスマと武力、知力を兼ね備えた英雄として今でもたくさんのファンがいます。
その後、後継者たちがどんどんと領土広げていき、最終的には歴史上最大の国となります。
そんなチンギスハンですが、若い時代の資料がとても少なく、生まれた年は1155~1167といくつかの説があります。
肯定:義経=チンギスハンの理由
お互いに情報の少ない二人ですが、伝えられた話に共通点がいくつかあります。
1.チンギスハンは長弓を使っていた。
チンギスハンは当時のモンゴルではとても珍しい長弓を使っていたと伝えられています。
長弓は日本で多用されていて、義経は弓の名手だったそう。
2.チンギスハンは全身に鉄の鎧を着ていた。
チンギスハンは鉄の鎧を着ていたという話があり、モンゴルではそういった文化はなかった。
鉄の鎧=日本の甲冑ではないかという話。
3.義経が消息を絶つ年代とチンギスハンが台頭した年代が同じ
義経は1189年に消息を絶ち、その数年後にチンギスハンが台頭しています。
義経は生きていてモンゴルに渡り、チンギスハンとして生活していたのかも。
こうやって見てみると義経=チンギスハンな気がしてきますね。
否定:義経≠チンギスハンの理由
単純明快!信憑性が無いです!( ̄▽ ̄)
モンゴルは口伝が多いので若干証拠としては弱いという考えですね。
他には、「その時代にモンゴルまで義経がどうやって行ったか」とか、「どうやって言葉を覚えたのか」とかです。
結局どうなの?
結論から言うと、違うという説が濃厚です。
あくまでも推測の域を出ないということでしょうか。悪く言えばこじつけです。
でもaiaiは夢があって好きですね。だってそうだったらすごくない!?
皆さんはどう感じましたか?
周りの人に話して感想を聞いてみるのも面白そうですね。
ではまたノシ
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